日本経済新聞「経済教室」(2009年10月9日朝刊)

 

市場機能生かす金融制度の設計:

新しいミクロ経済学活用で

 

松島斉(東京大学教授)

 

「限定合理性」考慮を:参加者の行動、細かく分析

 

・政府、市場の潜在能力の有効活用へ支援を

・反応分析へゲーム理論・情報の経済学活用

・市場参加者間の「暗黙の協調」形成目指せ

 

 

金融危機から1年が経過した。デリバティブ(派生商品)などの金融革新は、危機の首謀者と非難されがちだが、金融機能を強化する社会的ニーズにこたえるため考案されたことを忘れてはならない。グローバル化でビジネスチャンスは世界に散在し、旧式な間接金融ではもはや資金提供者と調達者を適切に結びつけられない。金融革新は、リスクの高いビジネスに資金を提供しリスクを社会全体で管理するために依然不可欠だ。

 

だが金融制度が不適切な場合、金融技術が民間に悪用され、後述する「政府の失敗」が誘発され、経営のガバナンス(統治)が悪化する危険性に直面する。今回の危機ではこれが一気に顕在化した。危険性を回避し金融革新を享受すべく、金融制度をどう設計すればよいかが課題になる。

 

政府がすべきは、市場を制限し肩代わりするのではなく、情報提供などの金融の潜在能力や、民間の潜在能力、特に後述の「暗黙の協調」を形成維持する能力を有効活用できるよう市場を支援することだ。民間の複雑な相互依存や政策変化への反応をきめ細かく分析すべきで、既存のマクロ経済学や完全競争では不十分である。ゲーム理論や情報の経済学を駆使し、「限定合理性」も考慮した新しいミクロ経済学が実践的役割を担う。

 

市場への信頼が失墜すると、マクロ政策や規制への依存度が高まるが、政府は政策変化に民間がどう反応するか考慮せずに判断しがちだ。民間は政策変化に応じて行動を劇的に変えうる。その反応の仕方は複雑で、マクロではとらえきれない。不用意な政策は政府の失敗や経営ガバナンス悪化を助長しかねない。

 

例えば危機後には、問題企業を一括救済しようとする安易な政策がとられやすい。そこで経営者は、非効率でも、あえてサブプライムローンのような市場リスクと高い相関があるリスクを抱え込もうとする。この結果、多くの企業が同じリスクにさらされ、一斉に問題を抱えるという危機特有の現象が増幅される。

 

民間の反応を考慮したきめ細かな政策立案は、実は容易でない。必要な情報は散在し、政府はその収集が苦手だからだ。そのため政策判断の情報的基礎が弱まり、政治的圧力に左右され、政府が意図しない問題を起こすという「政府の失敗」につながる。

 

 

政府の失敗や経営ガバナンスの悪化を打開する活路は、実は市場自体、特にデリバティブ市場の中にある。デリバティブは優れた情報提供能力を秘めており、デリバティブ取引所の整備が求められる。

 

例えば、企業が倒産した場合に一定額を支払うことを契約するCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)には批判も強いが、O・ハート米ハーバード大学教授らが指摘するように、その価格は倒産確率を示す優れたバロメーターになる。企業経営に関する情報は散在しているが、CDS取引所を整備すれば情報はCDS価格に集約され、それが高ければ倒産確率が高いと予想できるようになる。

 

CDS価格が「閾(いき)値」(ある値)を上回れば政府が自動的に経営介入するルールをつくれば、政府は政治的圧力に翻弄されずに破綻処理できる。また自社のCDS売買を禁じれば、経営者はCDSの価格を閾値以下に抑えるインセンティブ(誘因)をもつので、価格が上がれば即増資するなど債権者保護策を講じ、企業統治も改善される。

 

この例は豊富な情報が制度設計に貢献することを示唆するが、あくまで適切な情報の利用が前提だ。よくある政策提言ではこれが無視され、完全競争状態に近づけようと、不用意に情報公開を奨励しがちである。だが金融制度は必然的に不確実性を内包するシステムなので、無理に完全競争を目指すと、かえって参加者間での情報の偏在性が増し、事態を悪化させる恐れもある。情報公開の仕方やタイミングに十分配慮し、適切なインセンティブを与える制度設計を工夫すべきだ。

 

金融商品の価値を合理的に計算できるよう規格化する提言もなされているが、金融革新の足かせになるため受け入れがたい。確かに新しい金融商品は複雑で、リスク構造をひもといて価値を計算するのは難しい。だがこれは通常の株式でも成り立つことだ。

 

実際の投資家は、ビジネス内容を踏まえ企業の価値を合理的に計算するのではなく、「限定合理的」な手続きにしたがい情報処理している。企業の評判や関連銘柄をたよりに、合理性とは別の簡便な手続きで、最適ではないが満足できる範囲の決定を探しているのだ。これは株式市場の円滑化を支える一因でもある。

 

 新しい金融商品にはこうした手続きが欠けている。供給者の評判や、関連商品の価格をたよりに情報処理するための限定合理的手続きの確立が急務である。商品の質だけでなく供給者の評判も考慮されれば、「暗黙の協調」が形成維持されやすくなる。

 

法的強制を伴わず悪質商品を売って目先の利益を得るより、良い品質を提供して評判を得て将来の利益を高めるインセンティブを働かせるというのが暗黙の協調であり、金融仲介機能の強化という、金融制度設計での壁を突破する糸口になると期待される。

 

 

旧来型の銀行業務を中心とした金融仲介は、今日の社会的要請にこたえるには荷が重い。そこで、貸付先のスクリーニング、預金獲得、リスク分配といった機能に金融仲介を分解して専門化し、社会全体で分業するシステムに転換させなければならない。

 

売却(ディストリビュート)を前提にローンを組成(オリジネート)するというOTD(オリジネート・トゥー・ディストリビュート)と呼ばれるモデルは、こうした金融仲介の社会的分業の具体策として考案された。サブプライムローンをひとまとめにしてプールを作り、リスクに応じて「シニア」「メザニン」「エクイティ」といった簡単な等級を付け、このプールを担保に、個々の投資家の注文に応じて証券化商品を組成、相対取引する仕組みである。

 

この証券化モデルが失敗して危機を招いたのは、限定合理的手続きが確立せず、投資家が、合理的リスク計算に全力投球するか、無思慮に格付けを信じるかの二者択一しかなかったからだ。実際、投資家は、当初無思慮に格付けを信じていたが、サブプライム関連証券のリスク指標が公開されるや態度を急変させ、合理的リスク計算に全力投球するようになり、結果的に、市場の失敗を誘発する非対称情報の市場環境を生み出した。さらに投資家と供給者双方に、暗黙の協調を形成維持する動機も欠けていた。

 

暗黙の協調は、社会的分業が成功した他の産業で重要な役割を果たしている。例えばダイヤモンド産業は、全工程をほぼデ・ビアス(南アフリカ)一社でこなしていたが、産業の成長で、原石採掘、売買、研磨など工程に分解・専門化され、社会的分業へと転換した。原石売買の仕組みは、原石をひとまとめにプールを作り、品質に応じた簡単な等級をつけ、原石の入った「サイト」と呼ばれる箱を、個々の研磨業者の注文に応じて組成し、相対取引するモデルで、証券化とよく似ている。

 

原石売買の仕組みも危機を経験した。買い手の研磨業者が原石の質を精査したため、後から来た業者も粗悪品をさけようと精査に固執して情報の非対称性が深刻化。取引が停滞した。だが注文した研磨業者はサイトの受け取りを拒否できないルールを追加し、危機を脱した。研磨業者は取引の際に質を精査するのをやめ、かわりに供給者の評判の査定に知識や情報を使うようになった。供給者は、サイトの中身を悪く選定すると、後で評判を落とし顧客を失うことを恐れるようになった。こうして暗黙の協調が形成され、今日まで維持されている。

 

 

日本が、金融革新の立ち遅れを取り戻し、新たな金融制度設計を検討することは、将来の経済発展を左右する。日本はもっと積極関与し、旧式からの前進の必要性とその仕方を、真摯(しんし)に、経済学的に考えるべきだ。それが、長期的に日本の国益と国際的な信頼を高めるだろう。