日本経済新聞「経済教室」(2010年6月28日月曜日朝刊)

 

ヘッジファンドの統治:

譲渡益課税活用で改善へ

 

松島斉(東京大学教授)

 

 

運用担当者に規律を:レバレッジ規制も必要

 

                         ・ヘッジファンドの競争、バブル防止しうる

                      ・「偽者」マネジャーの存在、経済に悪影響

                      ・有能なマネジャーでもバブル生む場合あり

 

 

     ヘッジファンドには、今や富裕層のみならず、年金基金、退職金基金、慈善基金、銀行、機関投資家から多くの資金が集まる。ヘッジファンドは資金提供者の中途引き出しを制限するのと引き換えに、金融派生商品(デリバティブ)、借入金を使って投資効率を高めるレバレッジ、および空売りに対する規制や情報公開義務が免除される。そのため、ファンドマネジャーは手の内をみせずに独自の投資戦略を駆使することが可能になるので、高収益をめざすことができる。

    

     また、ヘッジファンドは効率的資金配分という金融機能の根本を強化すると期待される。たとえば、ヘッジファンド間の競争は大衆の熱狂によるミスプライシング(誤った値付け)を是正し、バブルを食い止めることができると考えられる。

    

     しかし、金融技術が複雑化した現状では、ヘッジファンドが本当に収益を稼ぐ技能をもっているのか、ミスプライシング是正に貢献しているのか、判断しにくい。よって、ファンドマネジャーが適切なインセンティブ(誘因)をもつようなガバナンス(統治)の整備が必要だ。

    

     ガバナンスに失敗すると、技能のない「フェイク(偽者)」マネジャーが参入し、実質的な収益を上げずに資金提供者から報酬をだまし取ることができるため、ヘッジファンド産業はやがて衰退し、実体経済が悪影響を受けてしまう。また、ヘッジファンドに高いレバレッジを許したままだと、有能なファンドマネジャーといえども、有害なバブルを人為的に生み出そうとするため要注意だ。

    

     現行のヘッジファンドの報酬ルールでは、マネジャーはファンドの損失を一切負担しない。彼らは自己資金をファンドに組み入れるなどして資金提供者とリスクを共有していると主張するが、実際にはわずかしかリスクにさらされていないと疑われている。

    

     A・ロー米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授は、現行ルールではフェイクが容易に高報酬を得てしまうと指摘する。たとえば、ファンドを安全資産に投資すると同時に、株価指数が暴落した際にその安全資産を無償譲渡するオプションを第三者に売却する。株価が暴落しなかった場合、オプションは行使されず、オプションの売却益を投資技能で稼いだかのように見せかけて報酬を得る。一方、株価が暴落した場合、ファンドに大きな損失が発生するが、マネジャーには何のとがめもない。

    

     追い打ちをかけるように、D・フォスター米ペンシルベニア大学教授とP・ヤング英オックスフォード大学教授は、現行以外の報酬ルールをいくら試行錯誤しても、それだけではフェイクを阻止できないと指摘する。運用に失敗したマネジャーに罰金を科せばフェイクを阻止できそうに思われるが、実はそうでない。有能なマネジャーも同時に撤退するはめになる。罰金の支払い能力を確保するため、マネジャー自身の自己資金の運用を制限し、その一定割合を安全資産で運用するよう義務付ける必要がある。その結果、自由な運用で高収益を上げるチャンスが有能なマネジャーから奪われてしまう。

    

   これらの指摘をもとに欧米のメディアでは、ヘッジファンドの潜在能力をつぶしてでも、銀行のように規制と透明性を強化すべきだという主張が繰り広げられた。しかし、私の近年の分析によれば、このような悲観論は性急に過ぎ、ヘッジファンドにふさわしいガバナンスの仕方をもっと追究するべきである。なぜなら、たとえば、マネジャーの個人資金への譲渡益(キャピタルゲイン)課税を徹底させることで、フェイクをめぐる問題を原理的に解決できるからだ。

    

     キャピタルゲイン課税を徹底した上で、たとえば、マネジャーの自己資金の運用を制限し、ファンドに損失が出た場合は罰金を科すこととひきかえに、報酬を高く設定するルールに変更したとしよう。その場合、有能なマネジャーには、自己資金からの運用益のキャピタルゲイン課税を負担せずに済むというメリットが発生する。一方、フェイクにはもともと税を課されるだけの運用能力がないのでメリットは何ら発生しない。現行ルールのままでも、マネジャーの自己資金がファンドに十分に組み込まれるならば、フェイクにのみデメリットが生じうる。前述した運用法のオプション売却益に課される税の一部は、フェイク自身が負担するからだ。

    

     この指摘は、ヘッジファンドに対する通念に修正をもとめることになる。一般に、収益追求のため、キャピタルゲインなどへの課税は避けるべきだと考えられがちである。現在、ヘッジファンドの多くはケイマン諸島など税の軽いタックスヘイブン(租税回避地)に拠点を構える。しかし、自己資金の税負担を逃れるようないきすぎた税回避は、フェイクによる運用を示唆する格好のシグナルになりうる。資金提供者、金融当局、そしてマネジャー本人も、このようなシグナル機能をフルに活用することで、ガバナンスのためのきめ細かい制度設計の確立に、今後努めるべきだ。

    

     さて、仮にフェイクを阻止できたとしても、有能なマネジャーが効率的資金配分に実際に寄与するとは限らず、逆に有害なバブルを助長しかねないので、さらに注意が必要である。大衆は熱狂によってバブルをつくるが、ヘッジファンドのようなプロフェッショナルの動向にも敏感だ。ヘッジファンドがバブル関連株を買い支える限り、大衆はバブルを支持する。逆にヘッジファンドの保有シェアが低下すれば、熱狂は冷めバブルは崩壊する。こうしてファンドマネジャーの一挙手一投足はバブルの命運を左右する。

    

     合理的なマネジャーはバブルのピークで売り抜けたい。しかし、ライバルがいる場合は、ライバルが売り抜けるタイミングを読むことの方が重要になる。ライバルより一足早く売り抜けようとする競争の結果、バブルは直ちにクラッシュされる。よって、ミスプライシングは是正されると考えることができる。

    

     このような楽観的見解に対し、R・シラー米エール大学教授は、プロのマネジャーといえども熱狂にまどわされ市場効率性に寄与できないと反論する。現実は、双方の見解の間のどこかに位置するだろう。私の研究では、合理的なマネジャーが、ライバルがある確率で非合理的であると予想する場合に、どの程度バブルを持続させようとするかを、ゲーム理論を使って分析した。このモデルにおいては、ライバルが非合理的である可能性が高いほど、合理的マネジャーは売るタイミングを遅らせ、バブルをより持続させることが示される。

    

     バブルが有害である最大の理由は、バブル期に生産性の低い事業へ大量の資金が流れることにある。ヘッジファンドに対するレバレッジ規制が弱い場合、これが深刻化する。バブル関連企業は、増資で資金を集めたい。しかし、ヘッジファンドに資金の余裕がないと、増資によってヘッジファンドの保有シェアが低下するため、バブルが崩壊してしまう。規制が弱ければ、ヘッジファンドは借り入れによって新株を購入できるので、バブルに潤沢な資金が投入される環境が整う。

    

     レバレッジ規制が弱い場合には、たとえマネジャーが十分に合理的で、大衆の熱狂が穏やかだとしても、有害なバブルが人為的につくられてしまう。ヘッジファンドは、全所有株のキャピタルゲインの増益を享受できる一方、暴落の損失負担は自己資本部分のみにとどまる。そのため、マネジャーはライバルを恐れずバブルのピークに近いタイミングをねらう。資金調達の制約が弱いことには良い面もあるが、このようなマイナス面もあるため、レバレッジに対する慎重な規制が望まれる。

    

     非生産的な事業拡大が続けば、バブル崩壊後の混乱は一層避けられなくなる。また、バブル期間中は資産価格が実体経済から乖離(かいり)し、価格情報の利用価値が著しく損なわれる。これらが、混乱からなかなか抜け出せず、経済が長期間停滞する主要因と考えられる。金融システムの再生と機能向上は急務であり、そのためには銀行のみならず、ヘッジファンドのような戦略的に自由な金融部門の役割とインセンティブを、十分に検討する必要がある。

 

 

課税の軽減は、むしろ「偽者」を利する